巧言令色

 

 私は巧言令色が大好きである。たとえお世辞と分かっていても、言われれば悪い気はしない。人間には、そうした快感を求めずにはおれない弱さがある。『論語』に「巧言令色、すくなし仁」という言葉があるが、これはそうした人間の弱さに対する戒めであろう。

 組織の中で、歯に衣着せずに言えば遠ざけられることも少なくない。なかには、自分に甘い言葉を注ぐ人だけを近づける人もいる。そうした事例をたくさん見てきた。だから、社会の必要悪として、巧言令色を否定するつもりは全くない。
             
  しかし、教師の生徒に対する言葉までもが巧言令色(?)になりつつあるとするならば、それは問題である。教育書は、何かといえば「生徒をほめなさい」と説く。だが、はたしてそうか。本当に心の底からほめ育てることと、教師と生徒との人間関係を悪化させないためにとりあえずほめておく巧言令色とは、根本的に違うのではないか

 大学を卒業するときある教授から、「君たちを叱らなかったのはわれわれ教員の怠慢である。社会人になって他人から注意されたら、『無条件に』、まず自分を反省せよ」といわれ送り出された。今もその言葉を思い出し、叱ってくれる人こそ「先生」だと感謝することにしている。
             
  叱られるのもいやだが、叱る方はもっといやである。しかし、いやな顔をされても、年長者には若い人たちを叱る義務があるのではないか。そうは思いながらも、叱る義務と巧言令色の狭間で悩む毎日を送っている。
 

 

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